戯言たわごと(いつも通り微妙に書き直し)
2005年10月29日 日常あちこちを彷徨すればするほどに私を襲うもの。それは文章。止め処なく拡張し続ける、文章の爆発。
とてつもなく広い空間の中心。そこに自分を置く。
その周囲のどこまでもを何らかの文章表現などがびっしりと埋め尽くしている。
それらはただ空間を埋め尽くしているだけではない。
その辺縁、まだ文章などのデータで埋め尽くされていないところ。
際限なく増え続ける文章の爆発が、何処までも何処までも。
そこに未だある隔たりを隙間有りのスカスカのままに文章は詰めてゆき、そして次々と空きスペースは消されていく。
それでもスペースは無くならない。
だから文章はいつまでも膨張を続ける。うじゃうじゃ、うじゃうじゃ。
誰かがソレを望む限り、スペースを喰い散らかしながら、文章は増える。
それは現実世界の拡張版のようだ。何もかもが、まるでとどまる所を知らない。
そのイマイチ冴えない性質を受け継ぎ、あまつさえ推し進めた。それが今の世界。
それとも始めからそうデキルように誰かに創られていたのだろうか?
だとしても、そうでないにしろ、つまりはいずれにせよ、
何ら分別ないモノを目の当たりにする。たいへん気味の悪い印象だ。
捉えどころのない事象は、要るのか要らぬのか不明な、不安というものを煽る。何となく恐ろしいものを垣間見てしまったような心地がするのだ。
……とかなんとか、感じた事は、そのようなイメージ。
個々人だけでは絶対に処理しようのないだけの文章の蓄積は既に用意されている。
だと言うのに、なおも文章表現の爆発は停滞する兆しを見せない。
表現に限界はない。引用だろうとパクリだろうとそこに生み出される表現は何処までいこうが尽きはしない。無限だ。
恐怖を感じるのは、その無限と言う概念なのかもしれない。
一つのブログサイトを見るだけでも、そこには凄まじい量の情報が溢れている。一人、あるいはそれ以上の人間が含有しているエネルギーの幾ばくかがソコに叩きつけられている。刻み込まれている。
誇張表現だが、それをすることができる人間が世界には星の数ほどいる。星の数ほどの文章の拡がりが見込まれる。
それを私は、とてつもなく、恐ろしいことだと考えてしまう。
何故かというとそれは、いつのまにか、あらゆる「何もかも」から見えなくなってしまいそうだから。
どこかに存在する誰からも、極論では自分からすら、自分と言うものが確認できなくなってしまいそうだから、なのです。
ノシ
とてつもなく広い空間の中心。そこに自分を置く。
その周囲のどこまでもを何らかの文章表現などがびっしりと埋め尽くしている。
それらはただ空間を埋め尽くしているだけではない。
その辺縁、まだ文章などのデータで埋め尽くされていないところ。
際限なく増え続ける文章の爆発が、何処までも何処までも。
そこに未だある隔たりを隙間有りのスカスカのままに文章は詰めてゆき、そして次々と空きスペースは消されていく。
それでもスペースは無くならない。
だから文章はいつまでも膨張を続ける。うじゃうじゃ、うじゃうじゃ。
誰かがソレを望む限り、スペースを喰い散らかしながら、文章は増える。
それは現実世界の拡張版のようだ。何もかもが、まるでとどまる所を知らない。
そのイマイチ冴えない性質を受け継ぎ、あまつさえ推し進めた。それが今の世界。
それとも始めからそうデキルように誰かに創られていたのだろうか?
だとしても、そうでないにしろ、つまりはいずれにせよ、
何ら分別ないモノを目の当たりにする。たいへん気味の悪い印象だ。
捉えどころのない事象は、要るのか要らぬのか不明な、不安というものを煽る。何となく恐ろしいものを垣間見てしまったような心地がするのだ。
……とかなんとか、感じた事は、そのようなイメージ。
個々人だけでは絶対に処理しようのないだけの文章の蓄積は既に用意されている。
だと言うのに、なおも文章表現の爆発は停滞する兆しを見せない。
表現に限界はない。引用だろうとパクリだろうとそこに生み出される表現は何処までいこうが尽きはしない。無限だ。
恐怖を感じるのは、その無限と言う概念なのかもしれない。
一つのブログサイトを見るだけでも、そこには凄まじい量の情報が溢れている。一人、あるいはそれ以上の人間が含有しているエネルギーの幾ばくかがソコに叩きつけられている。刻み込まれている。
誇張表現だが、それをすることができる人間が世界には星の数ほどいる。星の数ほどの文章の拡がりが見込まれる。
それを私は、とてつもなく、恐ろしいことだと考えてしまう。
何故かというとそれは、いつのまにか、あらゆる「何もかも」から見えなくなってしまいそうだから。
どこかに存在する誰からも、極論では自分からすら、自分と言うものが確認できなくなってしまいそうだから、なのです。
ノシ
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