悪意には無自覚なものがある。
胸の底にあって滲み出てしまった悪意のこともあるし、
そのようなことは思いもしなかったにも関わらず、
結果的には前者と変わらなくなってしまった悪意(行為)もある。
 
無垢な邪魔者に悪意は無い。ただ悪意を向けられる。
そうして悪意は繁殖する。悪意の無いところから連鎖的に。
 
ところで悪意には意図的なものも勿論ある。
恣意性が露見しない限りにおいて許容され得る、
この口数の少ない悪意が広まることはあまりない。
狭く深く、針のように突き刺さる、目立たない悪意。
 
さて。どちらを選ぶかと訊かれたのだが。
ふとした時に、からだのどこかから音が聞こえた気がした。
関節の鳴りではない。腹の訴えでは無い。静かな耳鳴りではない。
眠りに落ちかけたときにときおり聞こえる、
壁を爆破されたかのような奇妙な爆発音でも無い。
 
こうして並べてみるとからだは幾つかの音を、
どうにかして届けようとしているようにも思える。
理由はさっぱり分からないが(分かるものもあるが)、
とにかく届けようとしているらしかった。
 
さっきの音はどんな響きだったか。
浮かびきる前の言葉が、ひっそりと散逸する、
あのときの感覚に似ていたかもしれない。
 
似ているだけだろう。
そうでなければ、耐えきれない。

退化の代償

2016年6月7日 Fiction
そうなってしまった理由に思い当たる節は無かったのだけれど、
種類を問わず文章を書いている最中に、これもまた種類を問わず、
ある一定以上の音量、あるいは情報量が耳に入ると、
文章が書きにくくなっていた。
自覚があったのは認めるところで、しかしスピードが落ちるだけかと
思っていたら、実はそうではなかったことが分かった。ついさっき。

思うに、昔は2つのことを同時に考えること、もしくは
いずれをも掌握することが出来ていたのだと思う。今はそうでは無い。
文章を書くのなら、文章を書くことに集中しなければならなくなった。

なんだ。健全じゃないか。実に。
形、色、味、香り、響き、触り心地、そういった手がかりを挙げることはできるのに、
どうしても名前が見つからないことがある。
本当に知らないのなら諦めもつくのだけれど、しばしば「魚の骨が喉に刺さったような」
と表現される状態になってしまったら、思い出せないことだけは分かっている状態に
なってしまったら、いよいよ後に引けない。引かないことが鍵にはならないかと、
ほかの誰でもない、自分に期待してしまう。

期待。この期待に応えられるのだろうか。
解放されたことを意識することは生涯ない。
本当に価値があるものは、もう持っており、しかし手放さざるを得ない、つまり、欲望の種類を選択することは可能で、しかし同時にとても難しい。
難しくなったのはどうしてだろう。欲が至上であるかのような空気にまみれたから。誰が? たぶん誰もが。少なくとも、周りを見渡して、目の届く範囲の誰もが。

Touch Yourself

2012年7月24日 Fiction
いまも自分で選んだ日ではあるんだけど、
もういっかい自分で選ぶ日は、そう遠くない。

{{人貶}}

2011年5月12日 Fiction
彼は車内で、痛い視線を受けているだろうか。足元にいた子どもを意識せず、耐えることはできただろうか。

楽しくて仕方がない。
再確認と、念押し、釘刺しのためにしてる。

{{漂う}}

2010年12月25日 Fiction
一人か二人を満足させるための、不特定を不快にする行動を憎んでいると、
そうまでして快くさせたい、と心に浮かばせるほどのもののいないことを
非難したくもなる。

しかしだとしても、この不愉快さは誤魔化しでもなんでもなく、
果たして何に向けてのアピールなのか、あるいはアピールを
避けるための勘違いなのか、首をもたげるのは否定の感情ばかりだ。

それが近くにくると不快、それが遠くにいくと平常。どうして、
普通であることを拒むのだろう。人工的になりたがるのだろう。
どこかへの方向のプラスは、どこかからのマイナスともなる。
いったい誰に向けている。

その発散、迷惑です。
覚悟はまだ岩石。実行してもそれは、まだ岩石。

それがいつ岩石で無くなるのか。

唐突の出来事を期待している暇、無いはず。

{{見栄}}

2010年8月30日 Fiction
値段そのものに価値が無いなんてことは無い。一方、値段そのものが価値を持つことも無い。

{{手}}

2010年5月25日 Fiction
すがるものに恵まれ、しがみつく、その身はたった一つだけであるものを、淋しさが誤魔化したそのとき、一は二になり、零は出で、そして消えていった。
公共交通機関でフカフカの毛皮を着用するようなものだ。

変質した富の質を、いまだ履き違えたまま、一方だけが変わらない。

ねじれ。

そしてねじれは巻き込みをおこしかねない。

安定した中心の線を破壊する異物をも招きかねない。

{{日々}}

2010年1月30日 Fiction
素晴らしい一日だった。わたし以外の不快な人間を見かけなかった。

{{日}}

2010年1月29日 Fiction
素晴らしい一日だった。不愉快な人間と十回しかすれ違わなかった。

{{役}}

2010年1月28日 Fiction
神様が右手と左手のどちらが長いかを競わせているようなもの。

{{運}}

2010年1月26日 Fiction
往々にして正直者は運が良い。なんと、まだ息がある。
漠然と世界と称することに抵抗を覚えないではない。無二でありながら無限の広がりを秘める--一人の人間の持つ主観ですら一つであるはずがなく、秘めるも何も無く正しく無限なのだが--世の中を、たった一言で手の内で従わせるだけの説得力などいかなる言葉でも表現可能とは思えない。あるストーリーで世界は滅びの危機に瀕しているかも知れない。それは共通認識での世界の滅びと理解される。一方で滅亡の阻止のされ方は、何者かの主観に基づいた方法である場合が多い。結果的に世界は救われる。しかし副次的だ。何者かの意図は別にある。そしてその意図こそ重要だ。個のモデルが反映されたものでなければならぬ。すなわちそれが世界だ。抽象的に安易にイメージされる世界であってはならない。一つの物語は軽くは無い。借り受ける以上、無責任な世界は許されない。

油断しているとすぐに鎌首をもたげる。世界は怖い。
距離感の軽薄さは迷惑なものだ。逆はしかし、損だ。
可能性は広げるに越したことは無い。ただし我慢の出来る範囲で。

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