受け取った当人に思い当たる節があるとか無いとか、
そんなの関係ない。
それくらいに不特定多数が受け取れるように書かれた文章には、
ある特定の人にとっては、
強く働きかけられる力になる。
影響力がある。
そして不安にさせる。

意味合いはまったく違う上に陳腐でもある。
それは占いみたいなもんだ。
おおむね当てはまりが良いんだ。
絶対に自分じゃない、そう、それは俺じゃない、
いくら自分でそう思い込んだところで、
自分は関係ないと暗示めいて言い聞かせてみたところで、
それが胸のうちから消えてくれはしない。

それが疑念ってもんだ。

ラブニカにもあったな。
《疑念の影/Shadow of Doubt(RAV)》ってやつだ。

これが俺はとてつもなく怖い。
自意識過剰なのかもしれない。
いや違う。
自意識過剰なんだ。俺。
だって他人がめちゃくちゃ気になるし。

ほぼ関係の無い人の動向も気になる。
視線が痛い。話し声が痛い。そこにいられるだけでプレッシャーを感じる。
ほら、やっぱり。
そこで囁かれてるのが俺じゃないなんて、俺にゃ決して判りゃしない。

ここで他人の心が解らないから、世の中には俺しか居ないなんて信じ切れたら、どれだけ楽か分からない。
酷い意味での唯我を信じれたらね。
少なくとも俺の見地からすりゃ、他人の目が気になる時点で、俺にはこうなることが出来ない。だから酷いんだろう。なれもしないくせに無理やりにでもそうなろうとしている。心のどこかで希望している。

嘘をつく?偽る?攻めはしないね。それも俺の物の見方と受け取り方のひとつの形なのだろうから攻めようもない。

今は、それが嫌だって思えてる。幸いなのかどうか。

今は、それが幸いだって思えてる。よかったね。

じゃ、そうすりゃいいじゃんよ?

なんなら命令してやろうか?
「〜してやる」とか「〜してあげる」とかいうのってあんまり好きじゃないんだけどね。俺。

だから、しないでおくわ。とりあえずは俺の勝手にしてみてくれ。もしなんかあったらさ、そのときに考えっから。

寝るわ。

ヒミツ日記(相互リンクの人でなくとも表示)
これも地味ぃぃぃぃぃに不特定多数宛てになっちゃってるねえ。

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