自分を"僕"と呼んだ男の言うところによると。極めて平らに作られた坂を転がっていても、転がるものそのものから突き出している大小さまざまな突起のせいで、進み行く方向は一方向に定まらず、似たような進路を取っていたはず、もしくは取るかのように思われたもの、あるいはまさか接点があるとも見受けられなかったものまでが人知れずに交差しているらしく、月並みなのだが、どうともあれ逆もまた真と、自分を"僕"と呼んだ男は付け加えた。
 
 自分を"僕"と呼んだ男と話したことを考えてみたところ。道路はでこぼこだし、手段を問わず個性を亡くさなければならないと鼻息を荒くしているとしか思えない、この世相も手伝ってか、自分を"僕"と呼んだ男の言葉は、裏付けるには甚だ根拠に乏しいといわざるを得ず、自分を"僕"と呼んだ男が伝えたかったことを額面どおりのままに受け取ってよいものかどうか、まったく判断するには材料が足りなかった。判断を下そうとしたときの見識の狭さに、全面的に起因した材料不足であった。

 自分を"僕"と呼んだ男から電話がかかってきたのは、引越した次の日だった。それが自分を"僕"と呼んだ男の語った、ある種の混沌に作用された結果だったのか、もしくは初めからそうなることがそのままに起こったことだったのか、どちらにせよ、自分を"僕"と呼んだ男との初めての接点は、昨日家電量販店で購入したばかりの、この電話機とモジュラーケーブルと、それから差込口だったわけである。

 自分を"僕"と呼んだ男とはこのあと、1度は電話口で、もう1度は玄関先で話すことになる。彼は日本人ではなかった。しかし日本語は恐ろしく流暢だった。
 
 必要な出会いと、不必要な出会いとを区切る線。曖昧じゃない。単なる言い訳。あるかのように騙ること。その水際。欲しかった距離感。足跡が物語っていた。あとずさっただけにも思えた。

 矢庭に起動したスプリンクラーが、床を水浸しにしていた。この部屋、スプリンクラーなんて付いてたんだな・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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