ガラスのブルース

2006年3月13日
填め込まれていた硝子の瞳。それは坊やの宝物。

これまで緩慢としていた暗闇の只中に一本の白線が引かれる。
依然として漆黒を保つ世界。そこに2つの太陽が生まれた。
ぎょろぎょろ蠢く、色も質感も、まるでルビーガラスみたいな様相を持つ太陽だった。

ここでひと欠伸。
みょんと生え出たヒゲがひょこと上下する。
坊やは起きだし、穴蔵からもぞもぞと這い出る。
まだ少し肌寒い。一つ身震い。真っ黒の毛並みに朝日がつと差し込む。
もう一つ身震い。ぴたりと動きを止める。
すると坊やは、いきなり陽光を笑い飛ばした。君も芸の無いやつだなと、坊やは太陽に向かって哄笑をして見せた。

周りには誰もいないのだけれど、それでも坊やは歌を唄う。
悠々と散歩をしながら坊やはお得意のブルウスを大きな声で唄う。
誰もが坊やの歌を知っていた。
誰もが坊やの事を知っていた。

まんまるの泉。坊やの行きつけの水場。目一杯歌を唄って咽が枯れると、坊やは決まってこのまんまるの泉に足を運ぶ。
泉の縁に前足をひっかけ、ごくりごくりと咽を鳴らす。
ゆらり。ゆらり。
真っ黒の毛むくじゃらが目の前の水面でゆらりゆらり。
それは、どこか所在無げな様子だ。
ちろり。
その毛むくじゃらを、坊やの小さな舌が舐めた。
ちろり。もう一度ちろり。と、何度も坊やはそいつを舐めてやった。
呼応するように、その毛むくじゃらもまた坊やの顔を舐める。
坊やの事が自分と同じように所在無げにでも見えたのだろうか。
この泉に魚はいない。ちょっと前までは何匹も泳いでいた筈なのだが。

硝子は夕焼けを閉じ込めた。
坊やの腹はそれなりに膨らんでいた。昨日よりもだいぶマシなメシにありつけた。
自分の瞳と非常に似通った色に変貌した世界。まんまるの夕日を坊やはじっと見つめる。
坊やに封じ込められたものが一挙に溢れ出したかのようだった。
けらけらとけたたましく坊やは笑い出した。よく会うねとでも言わんばかりに、坊やははしゃいだ。
家路につく間ひとり坊やは、ずっとはしゃぎっ放しだった。

そうして月光に涙した。潜った穴蔵の中は日中のうちにたっぷりと溜め込まれた太陽の匂いでとても心地がよかった。
四肢を縮こませ、その気持ちの良さの塊をできるだけ肺に一杯になるように吸い込む。
月光が矢のように差し込む硝子の瞳が夜の闇に溶け消えていった。
 
 
 
坊やがいなくなってからどれくらいの月日が経ったろう。
いつも聴こえていた坊やの歌がある日を境にぱたりと途絶えた。
坊やがいなくなったことは誰の耳にも明らかだった。

硝子の瞳を持つ“猫”の坊や。みんな坊やの事を少しずつ少しずつ忘れていった。

…しかし。

坊やの口ずさんでいたブルウスだけは何故か、
誰の記憶からも立ち消えることが無かった。
 
 
                              一秒も無駄にしちゃいけない

つまり、いつだって思い出される。

この地を全力で生き抜いた、
きっと今頃どこかで得意のブルウスを披露して回っている、
硝子の目を持つ猫の坊やのことを。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
        生まれてきた事にイミがあるのサ

 
 
 
 
誰もが口ずさむ、
坊やの唄った
ガラスのブルースを。

ちかれた

2005年4月8日
>就職活動

仙台で面接。バスって早いね! 

今日の時間配分。

・面接時間:25分

・その他:7時間30分

ちかれた。

>BUMP

1日中BUMPばっかり聴いてたから久しぶりに。

シングル「ダイヤモンド」より「ラフメイカー」
 なぜコレがアルバム、具体的には「jupiter」に収録されなかったのか。私にとってこの事実は、不思議以外の何者でもない。物語形式の歌詞に、私が極端に弱い点を差し引いても、コレは相当の名曲だと思うのだが。とはいえ、ラフメイカーがアルバムに収録されなかったおかげで、シングル「ダイヤモンド」は、他に無い、ある種独特の存在感、つまり希少価値のようなものを、今なお発揮し続けることができているわけなのだが。
 さて「ラフメイカー」だが、文字通り「笑わせる人」ってな感じの人物(?)ラフメイカーを主軸に据えた物語調の楽曲になっている。オチに辿りつくまでの遣り取りはコミカルに抽象化されており、悲しみ、怒り、迷い、そして絶望などの感情が判り易く伝わってくる。同じ歌詞なのに、一つ一つが秘める意味はどれも微妙に違ってきている。違和感すら覚えるほどに。
 なんて前置きはこの辺にしておこう。
 「ラフメイカー」最大にして絶後の魅力は、オチ直前のラフメイカーの行動に尽きる。初めて聴いたときは鳥肌が立った。Σ(゜Д゜;エーッ! って感じ。どうなるの、どうなるのってハラハラしてたときに、コレだよ。まったく、やってくれるね。
 冗談じゃないよ。

アルバム「ユグドラシル」より「fire sign」
 これ単独でも良い曲なのだが、前述の「ラフメイカー」を聴いて、その背景をある程度理解してから聴くと、また見方が変わってくる曲、それが「fire sign」だ。それほどに「fire sign」はラフメイカーを髣髴とさせる描写が多い。
 間をすっ飛ばすが、最終的にラフメイカーが「自分の仕事」を優先させたのか、それとも「自分自身」を優先させたのかは定かにはされていない。
 そんなこと知るべきではないのかもしれないがね。

アルバム「jupiter」より「メロディーフラッグ」
 これが「ラフメイカー」と「fire sign」の間奏曲に聴こえてしまうのは、単なる意識過剰なのだろうか。
 これも「続・くだらない唄」と同じような聴き方で良いとは思う。とはいえ日々にむなしさを覚え、何か喪失感に苛まれているような方は、もしかしたら聴かないほうが良いのかも知れない。探し物を捜索する努力が、身内から生じる、とんでもない質量の無言の圧力によって、跡形も無く押しつぶされかねないから。

 眠い。だが寝ない。

>追記
 って書いてる場合じゃねえ!ハニカミに奴が、ムッコロが! え、え、え、なんか、なんか出演なさっていらっしゃってますことよ!?
 ああ、なんてことなの、なんて仔……っ! その微妙にムッコロフェイス化している表情に私は、私は……っ!

 飽きた。

>まだまだ追記
 モンスター遅れてるorz
 寝れねぇ。
BUMP OF CHICKEN 藤原基央 CD トイズファクトリー 2004/04/28 ¥2,520
Opening
グングニル
ベストピクチャー
続・くだらない唄
ランプ
K
リリィ
Ever lasting lie
グロリアスレボリューション
Ending

追記予定。

BUMP

2005年3月12日
も中心に据えるとか書いとき乍も一切それに触れていないのはたいそう気に喰わない。つう訳で布教活動っとく。合言葉は、苦情は受け付けず、好きな人が聞けば(゜з゜)イインデネーノ?

ユグドラシルより「乗車権」
いちいち歌詞が身に染みるのは、きっとやましい事があるからなんだろうと私は思う。それはBUMPの曲全体にいえることで(正確には詩の所為なのかも知れないが)、その誰もが実は持っているで筈の他物へのやましさを遂に自覚してしまい(それが良い結果か悪い結果かは問わない)、どうにも前向きに考えられず悶々としているときには、どうか彼らの詩から、ちょっとした後押しを受けて欲しいと私は望む。もしかしたらちょっとだけ、無気力状態から抜け出せるかもしれないから。
好き好きは人それぞれだから当方そこまでは責任持ちませんがね。

THE LIVING DEADより「続・くだらない唄」
続、とからには前作がある。まあそれはFLAME VEINというアルバムに収録されているのでご自由に。
さてこの曲だが。私に言えることは一つしかない。
労働している、もしくは絶望している人は何かを感じ取って良し。
ようするに私はまだ正式に働いてはいないし、思いつく限り自分で「これは絶望だ」と即断できるだけの絶望を味わってはいないから、単なる想像、もしくは解った気でいることしか出来ないから、もうこれ以上どうこう述べることは私にはできない。
どうぞ。立ち止まりたい人へ。
感じ方なんか人それぞれだから当方そこまで責任持ちませんがな。

ユグドラシルより「車輪の唄」
現在最強の地位を欲しい侭にしているシングルカットまでされた良曲、車輪の唄。物語っぽいテイストが大好物の私にとって、この辛抱堪らん後味の悪さが、そりゃあもう快感の一言。ただし彼らの曲はそのときどきの精神状態によってランク付けが大幅に修正されるので注意が必要だ。それに気が付いていないと、突然変化するお気に入りによって自分というものを見失わされかねないので取り扱いにはご注意アレだ。利き手じゃない方には混ぜるな危険を常に持っておけってこった。

THE LIVING DEADより「K」
そのとき私は非常にわかり易いルートで涙腺が緩んだ。つまりBUMPに嵌る理由となった。以上

jupiterより「Stage Of The Ground」
応援歌なのだろう。屈指の良曲だと私は思う。

>感想
こういうのを尻切れ蜻蛉という。

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